心の叫びを楽曲や工芸品で表現したいのだが、満ち足りすぎて叫ぶ内容が枯渇。自分への刺激のインプットが少ないと、情熱が燃えない。
平和で何も起こらない。それが幸福なのかというと違う。
自由は真空のように虚しく、なにもない。

ウインドサーフィンで沖に出たときに感じたことに近い。海に出るまでは最高にワクワクしていたのに、いざ出てみると、ひとり孤独で、寂しく、やることがない。ただ無為に移動するだけ。人もモノも運べず、やくたたずのデクノボウである。

青春を人生の最後に持ってきたいという人もいたが、それはどうかな?
金と時間の軸で考えると、どちらにしろ噛み合わない気がする。
しかしそれは社会に敢えてそう仕組まれているのだろう。
誰に何のメリットがあるのだろうか?国の教育水準を上げるとか?

家制度はもはやないわけだが、生まれて死ぬという線分の中で個が刹那を生きるにあたり、先祖や子孫との特別な繋がり、という精神的な絆を神のごとく信じてきたのだろう。生物的には別の個体であり、その一生はやはり線分だし、精神や幽霊が残留思念として確認されたことはないのだが。