自分について深く思念すると、精神世界と物理世界では欲求が異なることに気がつく。
精神世界で愛とか利他、利己、と言っていることは、同一性を持つ非自己の存在を探して、自分と同質かどうかを比較したいのだ。その結果、一部同じだが一部は必ず違うことを確認し、安心したり、インスパイヤされたり、ひらめいたり、愛したり、喧嘩したりするのだ。
一方、物理世界では人類は弱肉強食というヘテロジニアスな自然界の法則というか有様を捻じ曲げ、エコシステムのトップに不自然に君臨している。社会のルールとは、人類以外の他種族からの攻撃を防ぐために発生したのだと思うが、何が他種族かという線引きにおいて「フラクタル」となり、ミクロ方向は自分と自分以外が何が違うのかを探す冒頭の精神行為に帰結する。マクロ方向では火星人襲来で地球の国が一つになる。とか、パンデミックで世界がまとまる、など、未知に対する恐怖は、物理世界での弱肉強食法則下で生きるに必須な「同質・異質識別」のモチベーションであるが、フラクタル線引きを変えることで、昨日の敵が今日の友になったりするのだ。
同質か異質かがなぜそんなに大問題なのか?味方か敵かを判定したい?内か外かを知りたい?自分と比較することで自分を理解したい。
つまり、自分の精神世界が得体のしれない理解不能なものだからこそそれを説明したり、論理にしてみたり、メタファーを試したり、音楽や絵画、工芸など、物理アナログ世界でできることを使って芸術表現してみたりする。
人の精神は不完全であり補完し合う存在とのツガイになることでその不安を埋めようとする。寂しいとか、Miss youっていう感情はそれだと思う。一方物理世界では種族保存のために異性と婚姻し、子育てをする(自分に不必要な余分なルールが山のようにできる)。今まで何人の他人と会話したのか、とか、その中で心の友が何人いるかをたまにで確認したりする(FBはそのための道具だ)。精神世界ではジェンダー関係なく、同質な存在を模索し続ける。このへんの統制が取れないこと、矛盾をはらんでいるのが人間の常態なのだと思う。
しかしサイエンス的な見地からは完全な同質、モノジーン、レプリカはありえないのだが。

掲題のテーゼだが、欲求の5段階モデルは、上記の考察から原則とは思えない。自己実現、というゴールが嘘くさいのだ。翻訳の問題かも知らんが。
人は自分の内部構造(精神・物理の2元世界)のみ認知でき、それぞれの世界での欲求が存在し、その充足に矛盾が生じている常態で存在している。(例えば精神は同質を求めるが肉体は異質を好む、あるいはその逆)
故に、マズローのいう自己実現ではなく、自分に対する興味、探求を不完全な精神・物理構造の内部、自身で解決しようとすることが欲求の本質であり、哲学の存在理由でもある。

2020/5/12
是憮羅能