今日の夢は深かった、、、

コメディ映画に出演。こち亀と同じような警察官の同僚が数人。勝俣がソース顔の若い警官役、きれいなお姉さんもいて、おれがモラルについての考えをとうとうと諭す大原部長役だ。

人間だけが持つ社会性という鎧のようなものについての考察。社会のルールとは何か?何のために存在するのか?コモンセンスを外れると何が起こるのか?

もしかすると子供のころからずーっとそれがテーマだったのかもしれない。そこには、自由への希求という皮をかぶったインモラリティへの衝動があったのだ。普段と違うことへのあこがれ、非日常、スーパーマン、超常現象、UFO,オカルト、これらは違和感を伴い、好奇心を掻き立てる。

自然界の動物たちにモラルはあるのだろうか?人類とそれ以外の二元論もどうかと思うが、動物はフリーセックスなのか?いや、同種族に限定されている。種別ごとに区分された群れが存在する。弱肉強食原則下では、同種族の群れの外と中でルールが異なる。群れの中には確かにルールがありそうだが、脅威となる弱肉強食上位階層に対しては防御、下位に対しては攻撃する。この自然界のエコシステムの中で、人類は巨大な群れを形成し、その中に適用する社会ルールを設定し、強固な別種族への対抗手段を得たのだ。自然バランスをを破壊するほどに、、、

自然バランスを復元するためには人類が自然回帰するのも一つの手段かもしれないが、それって、他種族との食物連鎖を元に戻せというのか?

人種問題も、くくりを細分化するかしないか、というレベル問題であり、何でもグループにまとめたがる支配者の気まぐれなコンセプトによるものだ。いやならいや、よいならよい、昨日が良くても今日はいや、でいいではないか。国家というスキーム自体ルールであり、国家間の資本主義的、あるいは宗教的な争いとは一体何なんだろう。

人にモラルを持たせるためのツールが宗教と道徳教育だ。善悪の概念自体も同じだ。誰にとって脅威なのか、という低次元な欲求充足から、コミュニティ社会を持続可能とするなど、高次元な欲求充足まで、いろいろあると思うが、高次になると善悪も複雑で、立場によって裏腹になったりするものだ。しかし、それは前述した人類の現状のルールの上での話に過ぎない。