ベースはひょろっこ鴻巣だったかも知んない。楽器がやたらでかくてチョッパーやるんだけどなんとも楽器に弾かれてるんだよなー。コンプもないノンサスティンのスラップだった。ボーカルは感極まるとオーライしか言わない酒井。キーボードに小金丸が入ったこともある。

小金丸は高2ですでに現代アート界で注目されていた奴で、アクリル絵の具をカンバスに縦横無尽に垂らしたブツでなんかの賞をとっていた。おれにはカラフルなハエたたきにしか見えなかったが。小金丸はシンセサイザーを弄っていたようだが、作品は聞いたことがない。長髪根暗かつふてぶてしい雰囲気のやつだったと思う。学校にはあまり着ていなかったのではないだろうか。ある日調布の駅前交差点でバイク事故で突然死んだ。俺はレクイエムを作りWhite Varnishとしてその死を悼んだ。

White Varnishのメンバーは2年になると私立文系クラスと国立文系クラスに散らばっていたが、よく1階の教室の窓から抜けだしてミーティングした。話す内容は他愛のないものだったが、反体制っぽいエスケープそのものが楽しかった。教師陣も個性的で、毎朝千葉から革ジャンパンチパーマで出勤してくる生物の長島、全身がちんぽな化学の秦保、体型からレッドキングと言われていた体育斉田、数学はV字ハゲのちゅんちくじ、英語がブリティッシュカマ野郎の小垣、倫理社会が俺の宿敵目良。長島はガラガラ声のべらんめい調でスーパーカブで生活指導の見回りをするが、高田馬場のビルの2階にある本屋のエスカレータをカブごと登ってターゲットを仕留めたという逸話を持つ。教師に対して尊敬はなく、なんとかからかってやろうと俺達は毎日趣向を凝らしたものだ。

キングギドラ斉田は柔道部顧問で、頭が小さく、脳みそが小さいのが悩みと言われていた。体育教官室でいつも竹刀を持ってなぜか長島と二人で話していた。体育教官室からグラウンド越しに見える軽音部室でパンを食っていたら、突然斉田が踏み込んできて、「何やってんだ!」と一喝した時はビビった。ギターアンプに斜めに腰掛け振り向きながら「パン食ってますっ!」と返事をした時の斉田のあてが外れた顔は忘れない。タバコかと思って踏み込んできたわけだが、、、その後そのパワーをどこに発散したのかは考えたくもない。

夏の数学ちゅんちくじの授業はよく荒れた。黒板になにか書いている間、ひぐらしのように囁き声で「チュンチクチュンチク」が教室中に広がり、振り向くと止まる。これが別に数学やっていない隣のクラス、更に無関係なその隣のクラスまで伝播していくのだ。夏の風物詩である。

館野のギターはいわゆるレスポールによるドペンタであり、右手の回転数にしのぎを削っていた。一方俺はNSPやってたCharとか、ロックオモシロックというテレビ番組に出てたBros. Johnsonなんかを見ているうちに、”ナインス”なる甘美なものを知ってしまい、館野とは違う指グセが付いていったのである。

つづく