高校は新宿にある私立男子校で、俺は軽音部だった。

最初に組んだバンドはマシンガンギターのテッド・ニージェントやもぐもぐロビン・トロワーなどマニアックな趣味のブルースリー似の舘野とその友人で引きこまれたベースの寺澤、それにすでに太り始めちゃったレイジーロックドラマー風間だったと思う。あとクラッシック上がりの油ヘア磯部がキーボードだった。

White Varnish(ホワイト・バーニッシュ:白き消失)は初期のツェッペリン(2期だったか?)のギタリスト、トミー・ボーリンのTeaserとかリビングラビングメイドなど、LED ZEPPを何曲か携えて1年バンドで文化祭に出演した。俺はこのステージに出るために小遣いでは足らず、親に借金までしてGRECOのブラウンのセミアコを購入したのである。

ほとんど絶叫で音程のないボーカルとドドンパシャンシャンしか聞こえないドラム、カウントから倍速、ギター片っぽでかすぎ、という、あるある満載のステージは、照明も何もない、いつもどおりの体育館を満席立ち見状態にし、最後は「うぉーーー!」しか聞こえなかった。しかしそれは演奏に対する称賛などでは決してなく、主にメンバーのキャラ人気の賜物であったことは、想像に難くないのである。

バンド名は俺が考えたのだが、白き消失とは、トリプルミーニングぐらいになっていて、①思春期の男がまっさきに考えそうなアレ、②カセットテープをダビングしすぎてホワイトノイズがががが、、、③しらけ世代と言われていた時代の空気、などである。

Wikipediaより抜粋

しらけ世代(しらけせだい)とは、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた、政治的無関心が広まった世代を指す語。1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した。また、真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。

1983年にデビューした尾崎豊は「しらけ世代」の最たる者、、、だそうだ。

俺達は、White Varnishは、しらけ世代の最先端だったかもしんない。シニカルな眼差しで「チェッやってらんねぇー」「どうでもいいし」とかいうセリフしか出なかった。何もかもが無駄に、無意味に思えて、プログレオタクの持ってきたBonzo Dog DooDaa BandとかNew TrolsとかCAMELとかSilver Tight Way David Bowieもなんかやってたかも知んない。

つづく