ZEBLOG

zebrano blog

Category: music

だぅ

DTM DAW DSP DNF DQN DT などDで始まるあれにもいろいろありますが、今日はDAW(Digital Audio Workstation)の話です。


今自宅メインがiMacなので、多重録音というか作曲用にちょっと前にLogicPro9を買いました。今までは4とか8小節のパターンを作って疲弊してしまい、LOOPマシン代わりにオケにして放送したりしてたんですが、これではイカン、夏休み中にアルバム入れなおしのネタつくろう!と思いたち、何とかやってみたですよ。
最初の土日は台風が来ていて絶好のDAW日和だったんですが、画面にLogic出したまま別のことばっかりやってしまって、結局モヨヲさず、そっ閉じしたのでした。
1日空けて火曜日の朝にやっとやる気スイッチが入り、とりあえずプロジェクトに曲のタイトルを付けました。するとなんということでしょう!スイスイと10曲ぐらい作業が進み、見る見る曲が出来上がっていきます。まだ要素だけですが、後は切り貼りしてマスタリングすればオケはできてしまいそうです。

DAWでやる気を出すコツはタイトルに曲名を付けとりあえず保存することです!37461d29

新橋迷彩9課

d16060e3926ec7045a18109c078341e4da806f191390374172ある日、新橋のとあるライブ居酒屋で4人でライブゴッコをした。
俺は弦高の高い白のストラトキャスターをアンプ直結だったので、かなり弾きにくかったけど、ピックだけは自前の穴あきピックをたまたま持っててよかった。ワンダーとかジョエルとかビギンとかその場で合わせたけど、だんだん酔っ払ってきてまともにエンディングができなくなった。
店のオーナーが3.11チャリティーライブやるので5曲ぐらいやってくれと言ってきた。ごきげんな俺達はWHY NOT?状態だった。

White Varnish ③

Battle Age
校内のギターバトルを制した俺は物足りなくなって、うまいベースを探していただけなんだが、友人を辿って調べるうちに結果的に他校の文化祭に乗り込んでいって他校のステージ・スケジュールに無理やりセッションタイムを作らせてジャムセッションしまくり、実質殴りこみをかけていた。超高校生級のベーシストを求めてEの一発とかFGAとかVIm7ーII9なんかで延々とソロバトルをやった。負けそうになると歯で弾く奴とか、ギター投げる奴とか、アーム折れたりとか転がる奴とかいて、死屍累々だった。「ナインスって何なんすか?」っていう奴ら相手に必殺ムリムリ弦飛び速弾きをかまして俺はつぶやく。「時間が止まって聞こえる」今だとあれだ、MATRIXの弾除け背泳ぎ的な感覚だったかもしんない。

以上主観的にはこの通りだったのだが、今録音を聞くと、まごうことなき黒歴史であり、痛くて痛くて劇物である。寒いっ!チム! み、、、みんなも経験あるよねっ!(;´д`)

High-School festival in adolescence.
高校は男子校だった。したがって男子の巣窟は暑苦しく臭く、殺伐としていた。受験勉強の合間のはずなのだが文化祭シーズンになると、予備校でナンパした女子校生から芋づる式に入場券を入手し売りさばいたり、何らかの貸しを返したりする輩が横行する。逆に自校の文化祭チケットを人気女子校の可愛い娘に渡すために、兄弟姉妹親類縁者先輩後輩地元つながりなどあらゆるリサーチを行った。いわゆるBe-POPな奴もたくさんいて、リーゼントを維持するのにほんっとうに努力してた。禿乙!方や、普段絶対着ないようなトレンチコートやサングラス、FILAのジャケットなんかを調達しておかしなカッコで女子校の校門に佇む奴とか本当に可笑しくて内蔵飛び出るかと思ったわ。

3年の文化祭後夜祭メインステージのトリ。オリジナルナンバーオンリーで望んだ俺達のバンド名はSad & Solitary TART (S.S.TART)悲独売春婦てなとこだが、前述のしらけムードはまだ続いていて、社会の中に暮らしながら社会に疑問を持ち、一切の法やモラルは他人が作ったもので、なぜそれを守らなければならないのか? ~中略~ 諸々あって、最終的には「自由とは何か?」というテーマで堂々巡りをしていたために、なんとなく無気力で荒んだ退廃的そのものムードだったわけで、ROCKとかプログレやるには最適だったのではないかと思う。S.S.TARTには館野はいなかった。なぜなら奴はガリ勉していたからだ。代わりにライバルバンドのストラト浮浪者佐藤を巻き込み、ボーカルもゲストで巻き込み、風貌はよっちゃんだがめちゃめちゃ上手くなった風間ドラム、後輩のデブもぐらベースというベストメンバーで望んだ。

PA屋は予算が出たらしく、プロを雇ったらしい。ニヤリと笑いながら適当にリバーブやフランジャーをかけてくる。まぁ、ツインリードギターの音量調節はうまくやってくれたので良しとするが。

夏の夕暮れで、空は群青色。僅かな筋雲に夕焼けと新宿の明かりが反射し赤く輝いている。文化祭が終わった後夜祭の野外ステージはグラウンドに500人ぐらいの人がいて、ちょっとした照明まで付いている。今思えば周りは結構な住宅街で、よく許可が降りたと思う。てか多分許可とってないんだろう。。。

3年ともなるとテンポも走ったりせず、余裕の表情で観客の女子を観察したりしながら演奏できるのである。~中略~怒涛のステージ終了後、うちわを持った数人の女子高生が駆け寄ってきて、、、~中略~ あの制服はどこどこだなとか、もう帰っちゃったーとか、連絡先聞けたとかゴニョゴニョ渦巻く酸っぱ臭い青春の情念にまみれながら俺たちは二度と来ない高3の夜を駆け抜けたのだった。。。。。ムフ

終わり

 

White Varnish ②

ベースはひょろっこ鴻巣だったかも知んない。楽器がやたらでかくてチョッパーやるんだけどなんとも楽器に弾かれてるんだよなー。コンプもないノンサスティンのスラップだった。ボーカルは感極まるとオーライしか言わない酒井。キーボードに小金丸が入ったこともある。

小金丸は高2ですでに現代アート界で注目されていた奴で、アクリル絵の具をカンバスに縦横無尽に垂らしたブツでなんかの賞をとっていた。おれにはカラフルなハエたたきにしか見えなかったが。小金丸はシンセサイザーを弄っていたようだが、作品は聞いたことがない。長髪根暗かつふてぶてしい雰囲気のやつだったと思う。学校にはあまり着ていなかったのではないだろうか。ある日調布の駅前交差点でバイク事故で突然死んだ。俺はレクイエムを作りWhite Varnishとしてその死を悼んだ。

White Varnishのメンバーは2年になると私立文系クラスと国立文系クラスに散らばっていたが、よく1階の教室の窓から抜けだしてミーティングした。話す内容は他愛のないものだったが、反体制っぽいエスケープそのものが楽しかった。教師陣も個性的で、毎朝千葉から革ジャンパンチパーマで出勤してくる生物の長島、全身がちんぽな化学の秦保、体型からレッドキングと言われていた体育斉田、数学はV字ハゲのちゅんちくじ、英語がブリティッシュカマ野郎の小垣、倫理社会が俺の宿敵目良。長島はガラガラ声のべらんめい調でスーパーカブで生活指導の見回りをするが、高田馬場のビルの2階にある本屋のエスカレータをカブごと登ってターゲットを仕留めたという逸話を持つ。教師に対して尊敬はなく、なんとかからかってやろうと俺達は毎日趣向を凝らしたものだ。

キングギドラ斉田は柔道部顧問で、頭が小さく、脳みそが小さいのが悩みと言われていた。体育教官室でいつも竹刀を持ってなぜか長島と二人で話していた。体育教官室からグラウンド越しに見える軽音部室でパンを食っていたら、突然斉田が踏み込んできて、「何やってんだ!」と一喝した時はビビった。ギターアンプに斜めに腰掛け振り向きながら「パン食ってますっ!」と返事をした時の斉田のあてが外れた顔は忘れない。タバコかと思って踏み込んできたわけだが、、、その後そのパワーをどこに発散したのかは考えたくもない。

夏の数学ちゅんちくじの授業はよく荒れた。黒板になにか書いている間、ひぐらしのように囁き声で「チュンチクチュンチク」が教室中に広がり、振り向くと止まる。これが別に数学やっていない隣のクラス、更に無関係なその隣のクラスまで伝播していくのだ。夏の風物詩である。

館野のギターはいわゆるレスポールによるドペンタであり、右手の回転数にしのぎを削っていた。一方俺はNSPやってたCharとか、ロックオモシロックというテレビ番組に出てたBros. Johnsonなんかを見ているうちに、”ナインス”なる甘美なものを知ってしまい、館野とは違う指グセが付いていったのである。

つづく

 

White Varnish

高校は新宿にある私立男子校で、俺は軽音部だった。

最初に組んだバンドはマシンガンギターのテッド・ニージェントやもぐもぐロビン・トロワーなどマニアックな趣味のブルースリー似の舘野とその友人で引きこまれたベースの寺澤、それにすでに太り始めちゃったレイジーロックドラマー風間だったと思う。あとクラッシック上がりの油ヘア磯部がキーボードだった。

White Varnish(ホワイト・バーニッシュ:白き消失)は初期のツェッペリン(2期だったか?)のギタリスト、トミー・ボーリンのTeaserとかリビングラビングメイドなど、LED ZEPPを何曲か携えて1年バンドで文化祭に出演した。俺はこのステージに出るために小遣いでは足らず、親に借金までしてGRECOのブラウンのセミアコを購入したのである。

ほとんど絶叫で音程のないボーカルとドドンパシャンシャンしか聞こえないドラム、カウントから倍速、ギター片っぽでかすぎ、という、あるある満載のステージは、照明も何もない、いつもどおりの体育館を満席立ち見状態にし、最後は「うぉーーー!」しか聞こえなかった。しかしそれは演奏に対する称賛などでは決してなく、主にメンバーのキャラ人気の賜物であったことは、想像に難くないのである。

バンド名は俺が考えたのだが、白き消失とは、トリプルミーニングぐらいになっていて、①思春期の男がまっさきに考えそうなアレ、②カセットテープをダビングしすぎてホワイトノイズがががが、、、③しらけ世代と言われていた時代の空気、などである。

Wikipediaより抜粋

しらけ世代(しらけせだい)とは、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた、政治的無関心が広まった世代を指す語。1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した。また、真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。

1983年にデビューした尾崎豊は「しらけ世代」の最たる者、、、だそうだ。

俺達は、White Varnishは、しらけ世代の最先端だったかもしんない。シニカルな眼差しで「チェッやってらんねぇー」「どうでもいいし」とかいうセリフしか出なかった。何もかもが無駄に、無意味に思えて、プログレオタクの持ってきたBonzo Dog DooDaa BandとかNew TrolsとかCAMELとかSilver Tight Way David Bowieもなんかやってたかも知んない。

つづく

 

スネオ

昨晩ドラマーと飲んでた時の話。

スネアの位置8拍の1.5、3、4.5、5.5あたりを上手く入れると黒人っぽい雰囲気がでるよねー

ビリー・コブハムが好き。裏の帝王でウラウラウリャー!

他愛もない話が楽しくて延々としてたんだなーとおも。

ネットセッション

かつて2ちゃんのVIPに誕生したセッションスレも、なん実に引越し、更に避難所にてほそぼそと数名が生き残っておりますが、暇に任せてインスト・セッション用の曲というかなんというか、の寄せ集めアルバムを作りましたので貼っときます。完成度低いのでだんだん差し替えて行きたいなーと目論んでおります。はい。

http://tpot.net/zeb/

ネットライブ

時代変わって今はDAW。iMAC+Logic proでスッキリ!長年使ったYamaha UW500オーディオインターフェースもモニタスピーカとヘッドホンの分岐とMidiインターフェースにしか使っていないし、ZOOM MRS-8もHard-offに売っぱらっちゃった。エフェクター周りも紆余曲折しましたが、ZOOM G3X+BOSS RC-3のみ、とスッキリしました。

別にバンド組んでるわけでもなく、発表の場がないので、ネットに垂れ流し放送をしているのですが、ねとらじからUSTreamに引っ越したネットセッション環境も、USTreamがAdobeFME v3.2対応してくんないからか詰んでしまってねとらじに逆流したら経営が変わっていたり、そうこうしているうちにニコ動の時代が到来して人口ごっそり移動してしまったり、、、イマイチ年代が合わんけど、ゆるくてふわっとしたコンテンポラリズム(題してゆるふわコンポラ)というコンセプトをたて、ムリムリ継続しているのであります。

つづく

多重録音!

昔は元祖スパイ大作戦みたいなテープレコーダに4ちゃんねるヘッドつけたりマルチヘッドにしてテープエコー作ったり真空管2本のアンプに手作りボックスのスピーカから出したりしたけど、ひどかった。。。ラジカセにエレキギターを突っ込んでナチュラルwな歪をつけたり、Fostex Porta OneとかYamahaのCMX100 IIIとかいうMTRを買っただけで興奮して浮き足だって肝心の楽曲が冴えなかったりとか。。。Macintosh LC30かなんかでPerforma動かしてフリーズしまくったり。。全部消えたりw。。。本当に苦労しました。もう、、、シオシオのパーです。

ーここまでで何となく年代が特定できたと思いますが続けますー

昨今ではループマシンなる機械ができており、450ms出来るあの白いデジタルディレイが出た頃に遊びまくったあの一人二役がいとも簡単にできるのであり、BOSS RC-20xl使ってたんだが、どうしてもステレオが欲しくなってBOSS RC3に買い替えたらリズム音色もぐんと良くなってて、あれ?いつの間にかMTRは不要になっていたのでした。

セミアコ!

子供の頃からギター弾いてて、学生時代はバンド組んでました。
昔使っていたセミアコ(GRECO)を捨ててしまったことをものすごく後悔していて、、、
おじさんになってから紆余曲折を経て、最終的には同じ色のセミアコ(今度は本物のES335)を買い直してしまいました。

ES335って2~30万円ぐらいするので結構意を決する必要があるわけですが、1回目のトライでは、わざわざ背中押す人も用意して、御茶ノ水の楽器屋に行き、ES335 DOTリイシュー、サンバーストを2本並べて1時間ぐらい試奏しまくり、Epiphonのじゃがいもネックともさんざっぱら比較して悩んだ挙句、お店のおじさんに、「ちょっと頭を冷やしてくるからそのままにしておいて」といって店を出て、ふらっと見つけたIbanez SV5470-F-DSBを違う店で買ってしまい、違う経路を通ってそそくさと帰ったのでした。。。ほんっとすまんかった。おじさん。。。

しかし、楽器探すならデジマートに張り付いていれば見つかるよーという話を鵜呑みにしてES335を検索キーに登録していた俺は、ある日ついにめっけてしまったのでした。20万以内でブラウンでゴールドパーツでDOTでセンターブロックが尻尾まで詰まってて、傷がなくて、弦高低くて、個性的な「あの」音が出ること。
この、最後の条件を満たすかどうかは弾いてみるしかありません。渋谷の南平台あたりのひっそりとしたショップに日曜日の11時に現れた俺はそこから2時間に亘りES335の「あの」音が出るかどうかをねちねちと検証しつつ、再度背中押す人を呼びつけ、「絶対押すなよ!チラッチラッ」と言いつつ既にPNR(Point of No Return)を超えてしまっているガラスに映る自分と対面したのでした。っていうわけで、大決意2回目にしてやっと買うことが出来たのです。

© 2018 ZEBLOG

Theme by Anders NorenUp ↑