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投稿者: ZEBRANO (Page 1 of 9)

Sailor & Guitarist

マズローへのアンチテーゼ

自分について深く思念すると、精神世界と物理世界では欲求が異なることに気がつく。
精神世界で愛とか利他、利己、と言っていることは、同一性を持つ非自己の存在を探して、自分と同質かどうかを比較したいのだ。その結果、一部同じだが一部は必ず違うことを確認し、安心したり、インスパイヤされたり、ひらめいたり、愛したり、喧嘩したりするのだ。
一方、物理世界では人類は弱肉強食というヘテロジニアスな自然界の法則というか有様を捻じ曲げ、エコシステムのトップに不自然に君臨している。社会のルールとは、人類以外の他種族からの攻撃を防ぐために発生したのだと思うが、何が他種族かという線引きにおいて「フラクタル」となり、ミクロ方向は自分と自分以外が何が違うのかを探す冒頭の精神行為に帰結する。マクロ方向では火星人襲来で地球の国が一つになる。とか、パンデミックで世界がまとまる、など、未知に対する恐怖は、物理世界での弱肉強食法則下で生きるに必須な「同質・異質識別」のモチベーションであるが、フラクタル線引きを変えることで、昨日の敵が今日の友になったりするのだ。
同質か異質かがなぜそんなに大問題なのか?味方か敵かを判定したい?内か外かを知りたい?自分と比較することで自分を理解したい。
つまり、自分の精神世界が得体のしれない理解不能なものだからこそそれを説明したり、論理にしてみたり、メタファーを試したり、音楽や絵画、工芸など、物理アナログ世界でできることを使って芸術表現してみたりする。
人の精神は不完全であり補完し合う存在とのツガイになることでその不安を埋めようとする。寂しいとか、Miss youっていう感情はそれだと思う。一方物理世界では種族保存のために異性と婚姻し、子育てをする(自分に不必要な余分なルールが山のようにできる)。今まで何人の他人と会話したのか、とか、その中で心の友が何人いるかをたまにで確認したりする(FBはそのための道具だ)。精神世界ではジェンダー関係なく、同質な存在を模索し続ける。このへんの統制が取れないこと、矛盾をはらんでいるのが人間の常態なのだと思う。
しかしサイエンス的な見地からは完全な同質、モノジーン、レプリカはありえないのだが。

掲題のテーゼだが、欲求の5段階モデルは、上記の考察から原則とは思えない。自己実現、というゴールが嘘くさいのだ。翻訳の問題かも知らんが。
人は自分の内部構造(精神・物理の2元世界)のみ認知でき、それぞれの世界での欲求が存在し、その充足に矛盾が生じている常態で存在している。(例えば精神は同質を求めるが肉体は異質を好む、あるいはその逆)
故に、マズローのいう自己実現ではなく、自分に対する興味、探求を不完全な精神・物理構造の内部、自身で解決しようとすることが欲求の本質であり、哲学の存在理由でもある。

2020/5/12
是憮羅能

インモラル

今日の夢は深かった、、、

コメディ映画に出演。こち亀と同じような警察官の同僚が数人。勝俣がソース顔の若い警官役、きれいなお姉さんもいて、おれがモラルについての考えをとうとうと諭す大原部長役だ。

人間だけが持つ社会性という鎧のようなものについての考察。社会のルールとは何か?何のために存在するのか?コモンセンスを外れると何が起こるのか?

もしかすると子供のころからずーっとそれがテーマだったのかもしれない。そこには、自由への希求という皮をかぶったインモラリティへの衝動があったのだ。普段と違うことへのあこがれ、非日常、スーパーマン、超常現象、UFO,オカルト、これらは違和感を伴い、好奇心を掻き立てる。

自然界の動物たちにモラルはあるのだろうか?人類とそれ以外の二元論もどうかと思うが、動物はフリーセックスなのか?いや、同種族に限定されている。種別ごとに区分された群れが存在する。弱肉強食原則下では、同種族の群れの外と中でルールが異なる。群れの中には確かにルールがありそうだが、脅威となる弱肉強食上位階層に対しては防御、下位に対しては攻撃する。この自然界のエコシステムの中で、人類は巨大な群れを形成し、その中に適用する社会ルールを設定し、強固な別種族への対抗手段を得たのだ。自然バランスをを破壊するほどに、、、

自然バランスを復元するためには人類が自然回帰するのも一つの手段かもしれないが、それって、他種族との食物連鎖を元に戻せというのか?

人種問題も、くくりを細分化するかしないか、というレベル問題であり、何でもグループにまとめたがる支配者の気まぐれなコンセプトによるものだ。いやならいや、よいならよい、昨日が良くても今日はいや、でいいではないか。国家というスキーム自体ルールであり、国家間の資本主義的、あるいは宗教的な争いとは一体何なんだろう。

人にモラルを持たせるためのツールが宗教と道徳教育だ。善悪の概念自体も同じだ。誰にとって脅威なのか、という低次元な欲求充足から、コミュニティ社会を持続可能とするなど、高次元な欲求充足まで、いろいろあると思うが、高次になると善悪も複雑で、立場によって裏腹になったりするものだ。しかし、それは前述した人類の現状のルールの上での話に過ぎない。

2020初夢メモ

125CC のバイクを買って乗っている。これって長年の夢だったか。
講習も3日程度でよさそうだし、やってみるか。

辞めた会社の先輩の名字がわからなくて「高」なんとかと確信して、あからんまでやってみたけど解らず。ほどなくして、あ、上田さんだった。

とても手触りの良いものを発明してどこに付けたら一番売れそうかを考えている。とりあえずハンドルの10時10分に、、、

2020年の漢字は解!

解く。
牛の角を刀で切るってこと?

自分が絡まっている色々な制約を解いていくこと。
社会のために働いて納税するとか?

解る。

ばらばらにする事で、把握できるということ。
解らないことを解きほぐしてみる。
税金とか、保険とか、フットボールのルールとか。

ゴーマンかましてよかですか?

しょーじき言って、球技は嫌いです。

ゲームも、勝負も嫌いなんですが、球技って奴はわざわざ面倒なルールを作ってその制約の中で世界一を競う意味がわからない。

誰かが気紛れで決めたルールに縛られて、誇らしいのだろうか?

スポーツと言われている競技の中で世界一。解せないなあ。

移動物とか格闘技は解せるんです。

ていうか、ルール自体が嫌いなのかもしれない。

みんなが守る規約、社会のルールは、人同士、あるいは人以外の生物の脅威を取り除き、仲間が、あるいは人類が生き残るために作ったものだと思うが、自然現象にルールはないし、新しい脅威にも通用しないのだろう。

The Rule is to be broken.

皆さんどう思いますか?

優れたミュージシャンは惹かれ合う?

とあるライブバーで知り合ったフランス人。

雑誌編集者で、ラグビーワールドカップを取材しに、一時的に日本に来ているとのこと。

J-POPに合わせてベース弾いたり歌ったりしているので、好きなジャンルを尋ねたら、Jazz FunkのImprovisationだという。趣味が合いそうなのでそのままセッションしたところ、なかなかのGrooveで、お互いにまた合わせたいね、と言って名刺をもらって別れた。

やった曲:Em7 D7 Bm7 C7 循環

もう一度会うことはあるのだろうか。。。。

焦夢

中央線の上り。四谷駅かな?高低差のある複数のホームがある。最後尾のドアからホームへ降りる。グレーのジャケットを椅子にかけてから大きな荷物を下ろしに一旦車内に入った瞬間ドアが閉まる。財布に5万円入ったまま、ジャケットはホームに置き去りに。急行なので市谷まで止まらず、折り返して四谷?駅に着くまで20分ぐらいかかってしまう。その間変な女に絡まれたりして、元の駅に戻るが、気が気じゃない。ああ、なんですぐに車掌に訴えなかったのか後悔。見知らぬ男がジャケットを持ち去る光景がスローモーションで何度も再生される。
流石に頭にきて起きちまった。
教訓、気を抜くな。結果は確定しているのに、案ずることは無駄。メールよりも直接人と話せ。

1/3幽体の旅

親戚と車2台で旅行中、山の中で、精神の1/3だけが切り離され、意識だけのクローンのようになる。気が付くと荷物を詰め込んだ赤と白の車がない。みんなもう帰ってしまったのか。おそらく山の中で1/3ぐらい何かが俺に取り付いて残りが押し出されたんだろう。誰かに取り付きなおしてもいいが、肉体があると腹が減るし、金もないから生きていけない。空も飛べるし、しばらく精神だけの状態で自然を満喫しよう!

Seeking the future.

To the Paradise.

もうすぐ着く、、、
大きな自由が手に入る。
でも、本当にそこはパラダイスなのか?
その前に準備すべきことって?

  1. 紙巻をやめる
  2. 承認欲求について考察する
  3. 身体正常化

Digital Well-being

惑星的課題として企業セクタがSDGsをゴールとした「働き方」に取り組む傍ら、より根源的な個人の「生き方」への取り組みを表す言葉がWell-beingだ。

まず、簡単な「生き方」モデルを作ってみた。

多様性あり。例えば動物なら暮らすだけ?

ジェロントロジーとはそもそも老齢学であるが、これを高齢化社会工学と見立てる人が増加している。日本の将来の超高齢化社会で劇的に増加する、上図の赤部分に着目した方法論である。

しかし、ジェロントロジーは新マジョリティーに対するマーケティングであり、「生き方」モデルの全体に対してデジタル社会時代の処方箋が必要だ。

生産生活、消費生活、利己、利他の軸で、自分が選択可能なアクションをMAPしてみた。

この概念で、外側のどのアクティビティに誰と時間を費やすかを選択し、一人の時間は中央のNeutral zoneに戻ることがWell-beingなのか。

Re-bootしたWiredVol. 32 DigitalWell-beingIssueから、ヒントとなる言葉をいくつか挙げておく。
https://wired.jp/vol32-digital-well-being/

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてがウェルビーイングな状態にあることをいう」

肉体的にも精神的にも、よりアクティヴに、意識的に動く。そうやっていろいろな「幅」を拡げつつ、ニュートラルな状態にいつでも戻れるようになっていることが、人間にとってのウェルビーイングな状態

他者と「共に」感じることや、「苦労」を取り戻すこと(どちらもネオ・ヒューマンが捨象してきたことだ)の過程にこそ、個としてでなく「わたしたちの」ウェルビーイングの可能性がある

WIRED誌の編集長、 松島倫明氏のメッセージが頭にしみこんでくる。

https://wired.jp/2019/03/14/vol32-editors-letter/

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