1999/7/16 up

オーストラリアの日光江戸村ホーンズビー


1998年12月、オーストラリアに移住した旧友を訪ねた。

  1. Date: Mon, 14 Dec 1998 22:52:00 +1100From: tpot
    Hello!無事S家に到着しました。今日は、バーベキューということで、添付のような状況と相成りました。今日は晴れたけど、明日から少しシャワーがふるようです。S家はこぎれいにしてて、まるで外人みたいです。どうもこっちはイギリス文化圏らしく、クリケットなどが一日中テレビでやっています。それではまた。
  2. Date: Wed, 16 Dec 1998 10:42:17 +1100From: tpot
    昨日は、Cityを回りました。昔一緒に行ったサーキュラーキーという港に見覚えがあり、Rocks地区というあたりも、結構覚えているもんでした。ただ、今回はじっくり歩けるなーと思っていたら、、、、DFSの半熟おのぼりさん大きな橋のしたにあるTicketParkingに豪州産のHoldenというメーカーの赤いコンパクトカーを止めると、俺たちは何気なくチケットを買おうとした。ところが4ドル入れても、何も出てこない。どうやら券売機の故障らしい。RocksのDFS(Duty Free Shoppers)にはJTBツアーとか、LOOKとかのツアー客が一杯。コンダクターが大声で説明して時間を無駄にしているのを横目にすいすいと見て歩く。今回の旅の最大の買い物をするために、俺たちはブランドストリートに行きたかったのだが、Museumと飲茶と両立させようとしている内になぜかDFSに足を踏み入れてしまったのだ。昨晩のSツレアイからの、「そんな格好でブランドストリートの店に入れるの?」という言葉が、無意識の内に俺たちの行動に影響していたとしか思えない。ターゲットはLouisVittonの財布とスカーフである。ガキどもにはまた違うところで探すことにしよう。LVの店では陳列してあるものが少なく、不安だったが、わがツレアイの書いた紙切れを引っ張り出して、その種のものは1種類しかないことが判明。場所を移動して時間を費やすリスクを考えると、価格の高い安いは関係無いや、とて、即決。次はスカーフ(実母用)だが、これは悩んだ。後回し。Kids用のものを再度物色したが無し。ふらっと外へ出ると向かいがわにContempolary Art Museumが見えたのでふらっと入る。9ドルずつ。中身はかなりモダン系のインスタレーションだった。作品にアボリジニ・アートの影響が見える。とにかく岩の上に木が生えていて、土すら貴重な国なのだ。人口は東京都と同じで、1800万人。国土面積は日本の22倍。人が住める場所はごくわずかだ。実際、人間よりも羊のほうが5倍はいるらしい。豪州の海軍は世界で一番弱く、ほとんど攻め込まれないため、のんびりしているようだ。過去日本軍にしか責められていないそうである。赤いカンガルーのついた海軍のマークが煙突についた巡洋艦などがある。PablicService(掃除のおじさんなど)の制服はみな半ズボンにソックスというイギリススタイルである。イギリスの社会システム、イギリス人のメンタリティに、有り余る新天地、ドライな気候、そして厳しい自然条件をブレンドしたのがオーストラリアだ。強大な自然にすがり付いて生きている、といったAusyたちの気分が多少理解できる。
  3. Date: Wed, 16 Dec 1998 18:53:43 +1100From: tpot
    今日は午前中Sが新しい職場の社長面接にいった。恐らく最終面接と思うが、サマースーツにバシッと身を固めて颯爽と出ていった。年俸の交渉をするんだそうで、こちらの水準で行くと結構高所得を要求しているらしい。俺は洗濯をして、テレビを見たり、メールをチェックしたりして過ごした。午後から、北に車で30分くらいのところにある場所まで国道1号線のハイウエイを飛ばした。そこにはひなびたマリーナがあり、おばちゃんたちが水曜の午後を楽しんでいるようなリタイヤドピープルたちがのんびり過ごしている。半日55ドルで14FeetのRunaboutつまり小型のモーターボートを貸してくれるので、ビールとつまみを買って早速乗り込む。Sは陸ではA級ライセンス持ってるのに、初めてのモーターボートで、心なしかチジミあがってる様子。天気は良くない。曇り。所々に雲の切れ間があって、ここから猛烈な日差しが差し込んでくる。風は東。南太平洋に向かって船をはしらせる。向かい風だと、風波がステム(先頭)にあたって砕け、前に乗ってたSは、「雨か?」と何度も空を見る。クリスマス休暇前の平日にしてはヨットの数も多い。ほとんどの船はショートハンド(少ない人数)だ。商談でもしておるのだろうか?かなり起伏の多い道を帰りながら、オーストラリアでの日本人のサクセスストーリーは、不動産の大家になって住み替えながら前の家を貸していく、という昨日Sに聞いた話を思い出した。そうして成功してきた人たちが最終的にこんなパラダイスに住めるのか?40フィート級のカタマラン、トリマランなど、大型のヨットが立ち並ぶ湾の中の小さなDanger島は、斜面に立つ小ぶりの家から桟橋経由で乗船できるようになっており、俺の理想の家、という雰囲気だ。帰宅後、S夫妻は英語学校の最終講義に出かけている。その支度中に電話があり、今日の面接結果、Sの行った条件どおりでOK、とのこと。1月からまたサラリーマンだ!Congraturations!!!!今日はThaiレストランでお祝いをしよう!Sは4年半もこっちにすんでいるわけで、色々と勉強している。日本人移民が非常に少ない中で、仲間も出来、結構な古参ものとしてしぶとく生きている。豪州のパブリックな看板に良くある言葉として、Do the right thing.というのがある。正しいことをしてれば文句は言わないし、規制もゆるい。違反するとド高い罰金が待っている。税金は高いが、生活費はかからない。そんな国家なのだ。
  4. Date: Sat, 19 Dec 1998 15:16:37 +1100From: tpot
    Sと俺はたまには命の洗濯だ、問うことで、少し遠くに一泊で出かけることにした。今日の計画は、Hunter Valleyというワイナリーめぐりと、Hornsbyから250キロほど北に上がった所、Port Stephensというリゾート地がある。日本で言えば熱海のようなところだ。Sも地元とは言えそれほど何度も行くところではないようだ。マタもや国道1号線のハイウエイをひた走る。天気は晴れだ。やっと本格的夏を満喫できそうだ。Sydneyあたりの地形は岩だらけなので、高速道路の左右が削ったままの岩肌、というところが多い。制限速度は110キロ。一般道はロータリー式の交差点が普通だ。左側通行で右ハンドルなので違和感は余り無い。だんだん牛や馬がぞろぞろし始めた。SydneyあたりよりはUPDOWNが激しくないが、広大な丘陵地帯で、俺が良く夢に見る緑一面の丘に白い小屋が立っている。その白いバルコニーから裾野を見下ろしながら小説を書いたり作曲をしたりするのが理想だ。おまけにボートハウスが近くにあればなおいい。この国では車、船だけでなく、ヘリコプターや自家用ジェットが必要だ。雲行きは高層の雲と低層の雲とがぶつかり合っているような状態。風もやや強く、日本とはかなり勝手が違い、予想が難しい。ワイナリには結局6軒行った。白2本と赤1本をお土産に買う。こないだ勝沼に行ったばかりなのにまた試飲しまくってしまった。終わったころにはかなり天気も快晴に近くなり、アルコールも入ってのりのりの状態になった2人はギターを弾きながら海へと向かう、、、Port Stephensはひなびたリゾートという風情の場所だ。しかしまだ木曜日ということもあって人影はまばらだ。ちょっとトップレスネーチャンは居なそうだ。金曜日のDolphin Watchの船をブッキングして、宿もSの行ったことのあるところにチェックイン完了。トップレスを求めて(Sが!)ビーチにむかう。ビーチの桟橋でビールを飲みながらパノラマ写真をとった。家族ずれの多いところで、目的の物体には遭遇しなかったが、明日もあるか、ってことで、晩飯に向かう。シーフードレストランが2件あって、どっちにするか考えたんだけど、外に張り出してあるメニューにT-Bone Steakというのがあって、昔沖縄で一人だけ最後にT-Bone Steakをオーダーして悦に行ってた知り合いのことを思い出しつつ、それを平らげることにした。結果的にはブルース、ロックのかかる店で、Sも気に入ったようだ。50歳までに何と何を手にいれてどこで何をしたいか、なんて話しをしながら時は過ぎ、初め冷房が効きすぎていた店内は、結構混んできた。やはり結構お年寄りの女性が多い。AUSはBYO(Buy your own)というシステムで、酒を販売するライセンスを持っていない店は、持ちこみを前提にしている。近くのBottle shopでワインかビールを買って持っていくのだ。Bottle Shopではまだしらふだから余り馬鹿みたいに大量に買わないから、飲みすぎるって事が無い。買ってきた酒が終わったら食事は終わり、ってところがへるしーだぜ。それでも足りない奴らはPUBに繰り出す。ってことで俺たちも繰り出した。地元のおじちゃんたちや、むっくりした体格のAusyたちががやがやと何事か話している。子供みたいな女のこも外をうろうろしている。余り危ないところじゃないようだ。サマータイムなので、夜の8時半くらいにならないと暗くならない。絡まれるといやなのであまり目を合わせないようにしていたのだが、一番危なそうな兄ちゃんが、突然、「元気か?どっからきた?」と聞いてきた。みんな外見 ?とは無関係に結構いいやつなんだな。夜はじゃんけんで負けて俺は狭いシングルベッドになった。湾岸戦争が再開して世界中が大騒ぎになっているのに、南半球は平和だな、などといいつつ就寝。ところが2時くらいになぜか起きてしまった。防犯のため窓を閉めていたのだが、蒸し暑くなったらしい。思わず出たおならにすかさずSが返事をよこし、結局2人ともおきて窓をあけたりトイレに行ったりすることとなった。夜なのにいろんな鳥がいろんな声で鳴いている。ワライカワセミや、何とかやかんとか鳥である。そこから約2時間寝そびれた俺は狭いベッドで寝苦しい夜を過ごした。チクショウ!8時におき、Sの決り文句「メシどうする?」を聞きながらマリーナへ。トーストとソーセージ、卵、カプチーノ。イマイチ天気が悪い。10時にTanboiQueen号という遊覧船にのり、イルカウォッチングに出発。かなり寒い。気温は22度しかない。風は強風。秒速10メートルはあるか?船の横にはトランポリンがついていて、どうやらそこに水着で飛び込み、イルカと戯れよう、というノリらしい。高校生らしきニキビ若者や爆裂カップのオネーチャン、80歳くらいのオバーちゃん等、ファミリアな雰囲気。太もも直径80センチはありそうなモンスターもいる。イルカを追って何艘か遊覧船が出ている。話によると5000匹居るそうだが、見えたのは5匹。だんだん日が差してきた。約2時間でマリーナに戻ると、少しでも日焼けしようと直ぐに横になる。太陽をむさぼるようにして約1時間ねていた。その後、マタもや、Sの決り文句「メシどうする?」によりピザを食いにいった。このピザが今まで食べたことの無いぐらいのおいしさだった。チーズが違うのか?その後マタもや日焼けモードに、、、なりすぎたようだ。南半球をなめてはいけない。たった2時間半ぐらいの間に、顔真っ赤(というより紫)状態になり、「モウかったー!ガン黒正月だー!」などといっていたその時の俺が、今は情けないばかりである。とにかくかなり急激に日焼けした俺は、気分良く帰路についたのであった。
  5. Date: Thu, 31 Dec 1998 15:27:06 +0900From: tpot@tpot.net
    その後如何ですか?こちらは元気です。ところで、オーストラリア紀行の最終ができてませんでしたね。5Thday続きPort stephensの帰りに、toplessを求めておれたちはOne mile beachという海岸に立ち寄った。その横に、Duneがあるらしいのだ。車で、別荘地帯のような村を抜けると、突然海と砂浜、そして、広大な砂丘が目前に現れた。壮大な規模で、今までに見たことのない光景だ。海岸ではあさりのような2枚貝が沢山取れる。堅く締まった細かい砂は裸足で歩くときゅっと音がする。当然の事ながらToplessがいる。しかし、広すぎて人がまばらでとても近づいて写真を撮るどころではない。わざとらしくお互いを撮るふりをして、遠景にtopless嬢を入れてみたりした。せこい、、、4wdで砂丘に入れるらしいが、入り口に次のような立て札を発見した。「ここは軍事施設だった為、不発弾等があるかも知れません。へんてこなものを見つけたら触らないように。また、ここに入るのは自由ですが、自分のリスクは自分で負って下さい。」とてもじゃないがTouristの俺としてはここでリスクを犯すわけにも行かず、20m程度のExploreに終わった。何とも気の小さい事である。同行のSは更に気が小さく、感動を表明しつつも足運びがすり足になっていた。地雷じゃねえっつーの!あまりの自然のスケールに圧倒されつつ、地元ずらしていたSも「初めて来た」とゲロってしまった。その後、持病の腰痛を訴えるSを助手席に載せ、国道1号ハイウエイをひた走ったのであった。
  6. 食事の話 Date: Sat, 17 July 1999 11:21:00 +0900From: tpot@tpot.net
    オーストラリアの寿司屋はやはり日本からの移民が経営していて、4割ぐらいが日本人客だ。しょうゆがしみこまないようにビニールコーティングされた洋食屋風のテーブルが記憶に残る。要するに日本人の食事に対する精神というかSpilitsが自然素材である白木とか、紙とか、軟鉄、焼き物を要求するのだ。プラストプロダクトじゃダメなんだ!何か食べることに関してまじめになってしまう。ナイフとフォークでクリーンに丁寧に食べるのとは違う、食材に対してはかなさを感じつついただく、ちう感じだろうか。
    中国大衆食堂そのもの、みたいなヤムチャにいった。外見は普通の百貨店かショッピングセンターの中にだだっ広くかつゴチャマンとテーブルが展開され、かつワンサカ人がすわっている。ほかほかの湯気をあげたワゴン(ステンレス製)の上に、蒸し器、皿等を載せてチャイニーズのおネーちゃんやおばちゃんやおバーちゃんが短い言葉を発しつつ巡回している。Sに聞くと、あわび、とか海老、とか点心の中身を言ってるんだそうで、ほとんど確認しなければならないし、確認しても分からないものが多い。しかし、そのできたてあつあつの点心は口の中やけど警報発令うまうま物体であり、最後にちまきで締めようと思っていたのに結局回ってこなくて、そうこうしているウチに腹一杯になってしまって、、、ウーンマンゾク。だんだん人が減ってくると、従業員が丸いテーブルを縦にして、片手で転がしながらどんどんセッティングを変えていく。見ていると、テーブルの足をセットし、丸い板をのっけ、白布をかけて、その上に回転リングと小さい丸板を乗せる。それを分担して実に効率よくやってのけるのだ。中国4000年の伝統的プラグマティズムなんだろうな。アジアの香が充満する店を後にして、俺達は夕暮れの街をゆっくりとドライブした。
    本場韓国焼き肉の店があるってんで、インド、アジア系移民が多い地区にいってみる。なだらかな起伏のある地形で、店の外観はほとんどバイクの修理工場ってな風情。パンチメタルの狭い階段を上り、2階がホールになっている。中国系のカップルが先客だ。どうして中国系の二枚目ってのはみな「王様」的顔立ちをしてるのか?自信たっぷり、てな顔つきである。きっと精神的にもそうなんだろう。コンクリートむき出しの床に、丸いパイプ椅子(だったと思う)、真ん中にドラム缶のようなこんろがあり、その上で細切りの味噌だれ肉を焼く、ってな趣向。薬味が会ってこれがまたプリン体たっぷり感のある、高カロリー、高栄養凝縮食品であった。Sの定番銘柄であるVictoria Bitterというビールはあっさりしていて日本のビールに近いものがある。ピルスナー系だと思う。ちょっとしたベランダがあって、そこからの市街地の眺めは、「何でここ(豪州)に俺たち住んでるんだろう?」という移民達の心の奥にある悲しみにも似た味わいがある。
  7. エピローグ
    シドニーはオリンピックの準備真っ盛りで、市内も観光名所になりそうなところはことごとく化粧直しの工事中だ。会場予定地にも行ってみたが、選手村が広大な荒れ地を開拓して作られており、これを作ることで居住可能地域は増えるし、観光収入は入るし、交通機関は強化されるし、市長としては悪く無いな、と思える。(最近シムシティ3000にはまってるので、、、)アボリジニ・アートは、要するに素材が何もない荒れ地に住む人間が、木の皮や動物の血、植物の色石の粉等の自然素材を使って、自然を表現したものであり、知覚したものを模倣しよう、というアート表現の原点を想起させるひとつの人間の術である。シドニー市内に、クリントン大統領も訪れたよ!と新聞記事が扉にはってある店があり、国外持ち帰り用のピースを売っている。
    日が昇り、風が吹き、動物達が通り過ぎる。気温が上がり、のどが渇き、腹が減り、汗が出る。空の色が変わり、白い雲が黒く影に変わる。夜行性動物がブッシュの影にわずかに姿を現す。夜を告げる風が吹くと、こうもりや蛇などの恐ろしいものたちが徘徊を始める。洞穴や木の上に隠れ、眠くなる。このまま夜が続くのか、はたまた明日の夜明けが来るのか、知ることはできない。別れってのはいつもしみじみと心に残る絵だ。同じ時間を別々の場所でいきる知り合いのS。この後どれほどの時間を共有できるのだろうか?いるのは分かっているんだけど、声をかけるでもない。そんな日本での友達付き合いがもったいなく思えてくる。友人がさわれる距離にいて、生活時間を共有する事が、いかに自分の人生に味わいを与えるか、思い知らされた旅であった。了

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