1999/9/24 up

ダブリン


  1. 経路
    成田から日本海、中国本土、おそらくシルクロードや万里の長城の上を飛び、ロシア、スラブ諸国、ヨーロッパ、を飛び越してロンドンへ。そのままトランジットしてダブリンへ。
    ダブリンには仕事で訪れた。ソフトウエア会社のローカライズ工場がある。ダブリンにはフリーポート地帯があり、世界のハイテク企業が経営資源を置いている。国の政策で、ヨーロッパやアメリカへの出稼ぎの人たちを誘致する必要があるのだそうだ。しかし、クリスマスシーズンには帰国する人たちで飛行機は満杯になってしまう。
  2. 同行者
    三井物産の人と一緒に行ったのだが、商社マンはビジネスクラス、我々はエコノミークラス、値段が3倍違うので致し方ない気がするが、人を大事にする会社はいいなー。逆に経営資源としては営業の人しかいない訳だから優遇するのはやむを得ない気もする。ま、ろくに英語もできないのに行かせてもらった訳だから、当時の上司に感謝、かな?
  3. ヒースロー空港
    乗り換えははちゃめちゃ難しかった。リコンファームなる儀式をして、ドメスティックに乗り換えるわけだが、これがはじからはじまで長いこと歩かされる事となり、サンダーバードの国にしては不便だ。
  4. ドメスティックな飛行機会社
    確かリンガー航空とかいうクローバーのマークの航空会社で、機内アナウンスがガチガチのキングスイングリッシュでほとんど何言ってるのか分からなかった。女性も激しい発音で、何だか怒られてるような気分に、、、ま、運転は問題なかったから文句はないけど、、、
  5. ヨーロッパは石の街
    行きの行程ではろくにロンドンは見ていないのだが、車や機械等のインダストリアル・デザインはサンダーバード時代のローテク風で止まっている。妙にデカくて、丸っこい。愛着の湧く雰囲気だ。
    街は石造りで、建物は煉瓦色(新しい煉瓦と古い煉瓦(黒)という違いはあるが)に色付きの窓枠。石造りの建物はやはりヨーロッパを感じる。話によると外壁は残し、内装のみリニューアルすることが義務づけられているそうだ。つまり、国の方針で街の雰囲気を保護しているわけだ。大変なことですよこれは。日本でやったらどうなるのだろう?だれができるのか?環境保護大臣や都市計画庁がやるんだろうなぁ。
    洋服や、建物の内装は赤、紺、緑、金、黒、それから白。
  6. ケルト民族
    ゲルマン移動で移住したケルト人達の国、、、ケルト民族は草食動物を彷彿させる人たちだ。金髪碧眼でひょろっとしていて、何とも縦長な顔つきをしている。女性は雑巾のようなしたたかな外観と思想の詰まったしゃべり方で、恐ろしい印象。カーちゃんが強いんだ、ここは。
    ケルト民族のフォルクローレ文化は、あか抜けないがあくまで楽しい人生と仲間達という雰囲気。音楽はかなり突き抜けた馬鹿っぽい音楽で、浮かれる、ってのはこういう事だ、という見本のような雰囲気。基本的に森の民族、ってかんじがする。訳の分からない楽器、上手くないビール、まずい食い物、楽しみを追求するあまり、くだらないゲームのルールを作りまくって暇つぶししている民族、それが世界を席巻したブリテン人のルーツか、、、
  7. ウスケバッハ
    ビールはエール、これが甘酸っぱいみりん入りのようなビール。ギネスも雑巾の絞り汁のような味。でもウイスキーはウマい。宣伝の上手なJamesonよりもBushmillsの方が遥かに旨かった。タラモアデューは印象に残らない味。
  8. 果てしない牧場
    日本と何が違うって、風景である。日本なら水田が平坦に続く様な状況で、目にするのは馬のための広い放牧場と、それを仕切るというか車に乗った人間が通るための道、野原の真ん中に石積みの2本の低い壁が続いている。つまり、ほとんどの土地は馬が使い、道はその土地を横切って走る線路のような感じ。所々石壁に切れ目があって、木の丸太の扉が付いている。でも馬は石の壁を飛び越えて隣の土地に移動したりしているそうだ。両側が石の壁のため、車ですれ違うのはかなり気を使う。かなり徐行しないと壁に擦ってしまうのだ。トラックは別として、小型車じゃないと厳しい道路事情であった。
  9. ポストマンパット
    という訳で、テレビでやってるポストマンパットは昔の話じゃなくて、現在のダブリンをそのまま表していることが分かる。イギリス本土ではアイルランド人のことを田舎ものとかのろまとかお人好しといってるらしいけど、その通りだ。アイルランド人はU2位しか世界に誇れるものが無いらしいが、あまり気にしていない模様だ。日本でいうと、ま、歴史のある北海道ってとこか?
  10. ロンドンでの体験
    別編「ぼられの街」で語るが、帰りに2日間滞在したロンドンでの体験はかなりエキサイティングだった。ヒースローからは憧れの黒いオースチンのロンドンタクシーに乗って街に着いた。ホテルでは黒人のボーイが荷物を運んでくれて、イギリスにも黒人はいるのだ、と思い出させてくれた。地下鉄が安全と聞いて、トークンを買い、地図を片手に文字どおり探検した。シャーロックホームズ専門店やロウ人形館、大英博物館等、今から考えても行けて良かった、と思う所がたくさんあった。観光用のオープンの2階建てバスもあったが、あえて普通の2階建てバスに乗り、テームズ川を下った。バッキンガム宮殿のてっぺんにあるポールに旗が立っていれば女王がいる合図になっているらしい。ハイドパークの朝7時頃にはスピーカーズコーナーという広場があって、だれでも語って良い、ということになっているらしく、汚いおじさんが熱弁を奮っていた。周りには30人ぐらいの人たちがこれまたこ汚くたったまま聞いている。小鳥が飛び、歩く中、何となくできた道(芝生のすり減ったところ)を歩く。色々な潅木が至る所にあり、それぞれ特徴のある場所の名前が付けられている。池の周りには読書をしたり、散歩をする紳士が多い。建物はさすがにヨーロッパ、というか荘厳なものを感じる。地震がないのは良いことだ。王室博物館に行くまでの間に現在の近衛兵がOndutyで出動するのを見かけた。王国を守るための軍隊。それがごく当たり前に存在している。
  11. 力士満載ジャンボ
    もひとつおまけのエピソードがあった。大相撲パリ場所をロンドンのホテルでテレビで見ていて、へえーヨーロッパ旅行かぁ、と思っていたら、帰りの飛行機がヒースロー経由だったみたいで、同じ飛行機になったのだ!初めはあっ、陣幕親方だ、とか若の花だ、とか舞の海でもでかいなとか騒いでいたのだが、ヨーク考えてみると、通常の3ー4倍の体重のヒトが50人近く乗るわけだ。しかもファーストクラスだから2階に、、、小錦なんか席ブチ抜きだろうなぁ、、、、、ぞーっとするね。全く。ちゃんと離陸できるのかな?など、空恐ろしくなったりしたのだが、結局何事もなく帰国できたのでした。

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